いざラオスへ:ハノイの街から空港までは1時間かかる。6時の出発だ。部屋を出るのが5分ほど遅れたら電話がかかってきた。パン・バター・ジャム・オレンジ・水の朝食を受け取り車に乗り込む。空港に程近い場所に日本のメーカーの工場がある。ちょうど通勤時刻のようだ。空港に到着、$14払い搭乗待合室へ。搭乗ゲートは2〜9まであるがショップの影に隠れているよに見える。1階上にはレストランとがらんとした空間がある。なんとも小さい空港だろう。でも充分に広く感じてしまう、この人の少なさ。ラオスへの機材は、Fokker70・ビエンチャン経由でプノンペンに向かうようだ。
雲の中:乗客は3割ほど。Fokker70はズーット雲の中を飛んでいる。上空からのメコンの流れを少し期待していたがおそらく無理だろう。パスポートにはラオスのビザと申請書の1枚A4サイズが留めてある。はみだしていた邪魔者がここでなくなる。客のほとんどはトランジットへ、降りる人は少なくスーツケースは既に出ていて、ゴムのベルトコンベアは止まっている。税関カウンターではパスポートを見る事も無く「通れ通れ」の仕草。\4,000両替で348,000kipとなる。
市内観光:今日は日本語ガイド付きで定番の市内観光と舞踏付き夕食。探すまでも無くガイドと出会い、まずチェックインした時刻は10時だった。
博物館:博物館(撮影禁止)・興味はあまりない、でも途中から驚きに変わってきた。ガイドのトックさんはガイド歴は1年半だと言うが、でもよく勉強している。「ベトナム戦争」で知られているが実はインドシナ全体を巻き込んだ「インドシナ戦争」だった。その中でもラオスは、米軍の攻撃が激しかったらしい。この辺は省略しよう。気が向いたらラストの感想に書いて見たい。15分で終わりそうな博物館に1時間以上いた。考古学的に価値のありそうなものも剥き出し展示で「触るな」の表示だけ。
パトゥーサイ:「凱旋門」ここを見てから昼食の予定だが、時刻は昼に近い。ガイドは気を使い先に昼食にするか聞いてくれるが、ここを見てから昼食にしよう。階段を登って行くとお土産売り場がある。更にのぼり螺旋階段を登ると最上階となる。4m四方くらいだろうか、窓が4方向にある。メコン川や次に行くタートルアンも少し見える。帰りは違う階段を降りた。
昼食(タムナックラーオ):さてビール(ビン)だ、ビール(カン)だ。料理も美味しい。食事中にスコールとなった。パトゥーサイと食事の順番を逆にしなくて正解だった。
タートルアン(世界遺産になり損ねた?):パトゥーサイ周辺の道路はロータリー(楕円)一方通行になっていて、V字分岐の右側を進むとタートルアンがある。ここは金ぴかなので青空バックの写真を撮りたいポイントだが、先ほどのスコールもあり曇り空。残念。ここは右廻りで見学する。ちょうど裏側、いやこちらが正面らしいが、小さな仏塔がある。これはタートルアンの内部にある仏塔の模型だと言う。
「仏塔に穴をあけたら小さな仏塔があって、更に穴をあけたら仏舎利(釈迦の遺骨や荼毘時の灰塵)が有った。そんなこともあって世界遺産になろうとしたときに、既にペンキが塗られてしまい世界遺産的価値が下がってしまった。」とのこと。
ワット・シーサケート:壁に△状の穴があり2体づつ小さな仏像が入っているがこの穴が3千数百あるという。ガイドは出家経験があるらしく、本堂に入って上座部仏教流のお辞儀を教えてもらう。(本堂内撮影禁止)
ワット・ホーパケオ(博物館):ところ狭ししと仏像が展示してある。涅槃仏も小さなものが幾つかあった。(撮影禁止)
タラート・サオ:混沌とした市場・あまり値段をふっ掛けていないかも知れない。値切りすぎに要注意。
ホテルの窓から夕陽:夕陽が隣の建物の屋根に落ちる。明日はメコン川の岸辺で見たいものだ。
クアラーオで夕食:タートダム近くのレストラン。生演奏があって時々踊りが入る。赤米のカオニャオを食す。見た目は赤飯のようだ。素手で少し千切り軽く丸めて口に運ぶ。どんどん運ぶ。日本の赤飯ならごま塩が欲しくなるけど、そのままが美味しい。手で丸めてもべたつきは無い。この美味さには食べ過ぎ注意が必要である。帰りがけに入口のメニューに気付いた。「まつたけ」ってひらがなで書いてあった。食べたかった。