04mat の思い出の旅行メモ
インドネシア突然出張編
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突然の出張指示1993

それは突然やってきました。
正月休みで北海道に帰省していて翌日の上京を控えていた日、会社より突然の電話。
”インドネシア出張が決まった。書類は自宅の郵便受けに入れて置くので至急パスポートを用意せよ。”
その日いた場所から約30km離れた本籍地に住んでいる私の親に電話し、翌日朝一で戸籍抄本を届けてもらい、受け取りすぐに千歳空港へ向かう。

埼玉の自宅に着き、会社から届いていた書類を持って市役所で住民表を取り、約1時間離れた大宮のパスポートセンターに滑り込んだのが終了5分前。
事情を話し時刻をオーバーしながら書類を受理してもらう。ありがとうございました。
(1993年)1月14日にパスポートを受け取り翌15日に出国しました。

出国までに”○○の歩き方”を購入しインドネシアの研究。 ビザは?・入国は?・税関は?・ 初めての海外旅行の一人旅なので何も分かりません。
大きな危険はなさそう。でも細かいことワイロ?置き引き?
とにかくすべて???
せめて英語が話せれば。今更どうにもなりません。

東武線と京成線を乗り継いで成田着。出国手続きし待合室へ。そこで知り合った商社の方。インドネシア入国ではお世話になりました。

入国後、日本人の迎えの人と無事会えて海外第一歩を踏むことが出来ました。翌日、中部ジャワまで飛びます。

初めて海外の地に立つ

イミグレーション・税関を通過し空港で迎えの方と無事合流。(無事で当たり前か。)
スカルノ・ハッタ空港は、独特の匂いがしますね。タバコの匂いかな。
翌朝は早いと言うことでホテルは取らずに、会社の寮のようなところで一泊する。
ボイラー故障でお風呂は無し。(この後ジャカルタに戻るまで風呂には入れなかった。)

朝空港まで送っていただき、空港でインドネシア人を紹介され "?" と思っていたら、私を現地まで送り届けてくれる人でした。
スーツケースを引っ張り後に付き歩きます。搭乗手続き後、空港のレストランでの朝食はナシゴレン目玉焼き付き。

中部ジャワのスマランにプロペラ機で無事到着。初めてのプロペラ機の体験でした。
目的地のジェパラから当分一緒に仕事する日本人が迎えに来てくれていました。
同行して頂いたインドネシア人とその日本人が話し込んでいる間に、別のインドネシア人が私のスーツケースを持ってどんどん行ってしまい、慌てて後を追います。
駐車場でスーツケースを積んでいると、遅れて2人がやってきて”ああ良かった。”

ジャカルタでは高速道路と渋滞。まあ普通かな。
でもスマランからジェパラは凄かった。怖くて前を見ていられない。
長くて太い竹を積んだ牛車を馬車が追い越し、それを3人乗りのバイクが追い越し、さらに車が。
ゲゲ3重追い越し。

やっとの思いでジェパラ到着

ホテルに入って仕事相手から聞いた話は、”
天井を破られてスーツケース盗まれた!
え〜〜〜
2週間以上滞在の予定。やれるだろうか?

部屋はそのホテルの2番目くらいのランクの部屋
エアコン・テレビ・お湯・マンディルーム(トイレ付)・ツインベッド・これらあり
バスタブなし
お湯は時々出ない(特に時刻が遅くなったら)。そして毎日停電付。停電はサービスなので部屋代には含まれていません。
Rp30,000で朝食付 \1=Rp16.5 位のレート

食べ物
ソプ・アスパラグース・グビテン(かに入りアスパラガススープ)うまかった。
ソプ・ブントット(オックステールスープ)これもうまかった。
ウダン・ゴレン(えび炒め)なかなか。
ミ・バソ(肉団子入りめん)
クルプック(えびせんべい)
これらはうまかったが、ココナッツ系の味付けはあまり馴染めなかった。

コーヒーといえば、ビールの中生くらいのグラス(取っ手付)にコーヒー粉と砂糖をドバっと入れお湯を注ぐと出来上がり。見ると砂糖が底から3cmくらい沈んでいる。
粉が沈むのを待って、砂糖をかき混ぜないようにそっと飲む。
粉と砂糖が入ってないコーヒーが飲めるようになるまで(注文の方法を覚えるまで)時間がかかりました。

マンディと洗濯

一日汗を流して、ホテルに帰ってまずは水浴び。
普通の洋式トイレ(時々水が溜まら無かったりする)と50cm角くらいの水ためがあって、 一杯水が溜まっています。
一応お湯の蛇口も付いているけど出ない時もあります。その水を手桶でバシャ・バシャとやります。
この水溜めに入った人もいるとかいないとか。
慣れてくるとこの水浴びも結構いけます。

山の中を車で走っていると、マンディ場に向かう人たちに出会うことがあります。
個々の家のではなく共同の様子です。
宗教・お祈り・水浴び・清潔・健康 このような図式を考えてみると宗教は健康に役立っていると思えてきます。

着替えてレストラン(食堂って感じ)であまり冷たくないビールをいっぱい。
ビールは冷蔵庫に”後入れ先出し”なので奥に入っているのを注文しないとぬるい。

ここのホテルでは洗濯ものは床に落としておきます。靴下からパンツまでしっかりアイロンされてきます。
もちろんGパンにも、ビシッと折り目が付いて戻ってきます。

ジェパラでお仕事
"ジェパラ"で検索したら結構沢山ありました。意外と有名な家具の町です。終わり。

仕事の最終日スマランへ移動し、夕食は韓国焼肉。肉がかたくな〜い。

ジェパラからプロウスリブ
 ”○○の歩き方”を夜ホテルの暗い照明で暇に任せ読んでいたら、どうしてもプロウスリブに寄って見たくなりました。
色々ジャカルタのお迎えとかお世話してくださった方に”プロウスリブへ行きたい”ってお願いして手配していただきました。
 プロウスリブはインドネシア滞在者料金と旅行者料金があって、私はほぼ3週間滞在したので滞在者料金にしてもらってラッキー。
その日は早朝スマラン発で、午前中にジャカルタ到着。昼のうどんは、ほんとに美味かった。
夜は翌早朝の船のため港近くのホテル ホライゾン。すき焼きも美味かった。
多分結構高級料理に部類に入ると思いましたが、全部おまかせで食べるだけ。
満腹で満足でも、寿司カウンターを見つけ思わず座ってしまう。

プロウスリブで
 ジャカルタから高速艇で約2時間のプロウスリブは、いくつも島があって一つの島が一つのホテル。
私が行った島は(当時)JAL系の島でした。
 ジャワ島の海岸線は茶色に濁った海ですが(私の見た限り)、島の海はやはりきれい。
部屋はコテージで、ベッドは縦に寝ても横に寝てもどっちでもOK。

マリンスポーツ派ではない(泳げない)ので、テラスでボ〜〜〜っとしていたら、スタッフが話し掛けてきて、 椰子のみをカットしてジュースにしてくれて、その後はココナッツの柔らかい実を食べられるようにスプーンを作ってくれて、 その気配りが嬉しかったな。
味は?。ジェパラで散々汗を流して仕事して、一休みの椰子の実ジュースと比べたら一寸落ちたかな。
一人で来ているって言ったら、”夜は寒いよ。”だって。”ジャカルタから一人連れてくれば良いのに。”だって。 なぬ?
トローリングできるって? ぜひともやって見たいので翌早朝を予約し、夜ご飯は隣の島へ。

ジャラン・ジャラン
 朝ぶらぶら歩いているとホテルのスタッフが ”何してる?”。
”ジャラン・ジャラン”って答えると、”サンポ・サンポ”って言葉が帰ってきました。
インドネシア語でジャランは道・ジャラン・ジャランが散歩。
彼は”サンポが道でサンポ・サンポが散歩”って理解しているのだろうか?

実はプロウスリブには、一つだけ目的がありました。

”南十字星を見たい。”

 明るいうちに、仕事柄持っている方位磁針で南の方向を検討をつけておきました。
食後はまだ水平線近くが曇っていて、残念。
バーで飲んで、夜遅く見たら、サザンクロスが。縦長で。しっかりと。

椰子の実ジュース
 以前札幌はすすきのの歩道で椰子の実が売られていました。買って、やっとの思いで穴をあけ コップ一杯位出てきた液体を一口飲んだ時の感想は”生臭い”でした。

でも、外仕事で汗を流し、そしてもぎたての若い椰子の実のジュースはなぜか冷たくて、美味い。
あまりたっぷり入っているので、飲みきれないが。
そして割って皮を削って作ったヘラで、薄くついた白い実すくって食べると美味しい。

インドネシア出国
 イミグレーションで足止め。隣は流れているのに。なぜ? 何か言ってるけどわかんない。どうしよう。 旅行本のコラムが気になる。
別室へ連れて行かれたら! 嫌な予感が頭をよぎります。
だんまり作戦成功。やっと帰れる。

帰国
2月11日 帰国
機内のモニタで沖縄の東あたりを通過しているのを見たら、”やっと帰ってきた。”
インドネシア有難う。
このときは又行くことになる、なんて全然思っていませんでした。

[2012]追記

ジェパラには3回行きました。
当時計画していた発電所とは種類の違う発電所もできた様子です。
綺麗なホテルも出来ているようですが、当時は外国人が泊まれるホテルは2件くらいでそれもバスタブなしでした。
発電所建設予定地の中心や周辺をうろつきました。 中心とされていた場所はカカオの畑(林)で、蚊が多いところでした。

ホテル名はたぶん「 ホテル カリンガースター 」だったような気がします。



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